ファチマの奇跡に一区切り

goro3582005-02-16

13日にファチマの奇跡の証言者が死去した。
釧路新聞に外伝が載っていてこのことを知った。北海道新聞には載らなかった。海外では重要なニュースであっても北海道新聞は「価値が分からないから」なのかそれとも「都合が悪いから」なのか・・・。
◇ http://www.excite.co.jp/News/odd/00081108418033.html ◇

[リスボン 14日 ロイター] ポルトガルではこの火曜日を服喪の日に定め、政治家は選挙運動を縮小する。ファティマで聖母マリアの出現を目撃した3人の子どもの最後の生き残り、ルシア・ドゥ・ジュズス・ドス・サントスがこの世を去ったからだ。
カトリック教会によれば、ドス・サントスは幼い少女だった1917年に、その何十年も後の1981年に起こったローマ法王ヨハネ・パウロ2世暗殺未遂事件を予言したという。彼女は日曜日、リスボンの150キロ北の街コインブラカルメル会修道院で97年の生涯を終えた。
彼女は火曜日に修道院で埋葬され、遺骸は一年以内に近くの都市ファティマに移される予定だ。ファティマはカトリックの主要な巡礼地である。<略>
ドス・サントスは20世紀の大事件に関する聖母の預言の主な受信者だったと信じられている。
預言の第一部は地獄のヴィジョン、第二部は第二次世界大戦の勃発を予見するものだった。バチカンは預言の第三部を、法王暗殺計画と共産主義によるキリスト教の迫害を予言するものと解釈した。
教会は2000年に法王がファティマを訪問するまで何十年ものあいだ、預言の詳細を秘密にしてきた。
ほかのふたりの子どもたち、ドス・サントスのいとこヤシンタとフランシスコ・マルトは、それぞれ1919年と1920年に亡くなった。

あぁ、ルシアの口から世界に対して真実が公表されないまま、亡くなってしまった。
◇ http://oriharu.net/j666.htm#Fatima3 ◇
80年以上を経た2000.06.26にイタリア国営テレビにてファティマ第3の預言内容が公開されたそうだ。しかしその内容はまだまだ不充分なものだった。
【第3の預言公開の時にそばに座っていたヨハネ・パウロ2世は、怒ったように机の上を2、3度強く拳で叩いたほどである。「なぜ、自分のいうとおりにしないのか」といわんばかりの態度だった】と伝えられている。
また、ローマに住むイタリア人の幻視者マリサ・ロッシィ(50代の女性で、毎週木曜〜金曜にかけて聖痕から血を流す聖痕現象の中におられる方)が、つい最近ローマ中が地震(発表日の2000.06.26の夜)で恐れおののいている時、イエズス様の御出現を受け、「真実の発表をしなかったために、天の警告として地震が与えられるだろう」というメッセージを受けていたそうです。地震は死者も怪我人も出さず、他の国にニュース配信されることはなかったそうです。ただし、この地震は12時間も続きました!

バチカンがメーソンに乗っ取られてしまって、イエス様もお手上げといったところか。
エドガーケーシーもリ−ディングの中で世界がフリーメーソンに支配されることを告げているくらいだもの。