アウシュビッツ解放60年

goro3582005-01-27

昨日に続いて北海道新聞から。12月26日のスマトラ沖大地震から1ヶ月が経ち、待っていたかのように怪しい情報が出てくる。これはアウシュビッツ解放60周年なのだと。

ガス室の絶叫 今も胸に』

ナチスドイツによるユダヤ人大虐殺の残虐性を象徴するアウシュビッツ強制収容所ナチスドイツ親衛隊員として勤務していた男性がドイツ紙のインタビューに応じ、「ガス室に詰め込まれた数百人の人々の断末魔の叫びが今も耳にこびりついて離れない」と、生々しい記憶を語った。

いやぁワザトらしいったらありゃしない。右上の写真はSWCに廃刊にされた雑誌『マルコポーロ』。
さて、上の告白をしたという男は’42から’44までアウシュビッツに勤務し、ユダヤ人から奪った貴重品をベルリンに搬送する任務に就いていたのだと。彼が現場に立ち会った夜のこと、として状況が書かれている。
「数百人の裸の人々がガス室に追い立てられる。ガス室の扉が閉じられると、恐怖に駆り立てられた人々の叫び声が上がり、ガスマスクを装着した親衛隊員が通気口から毒ガスを注入するのが見えた。」そして「私は数百万人の無実の人々を殺害した『民族絶滅装置』の歯車として働いたことを今も恥ずかしく思っている」と告白したそうだ。
その施設で数百人を殺したとして、数百万人の実績をあげるには1万倍の作業が必要になる。僕が前に書いたように、殺人ガスの作用は証明されず、施設もそのようには機能しえなかった。
仮にアウシュビッツで彼が言うように虐殺が可能だったなら、として考えてみる。1日に頑張って5回サイクルで虐殺を行なうと、数百万人を殺すには2000日(5年半)が必要になる。
数百人処分の現場に立ち会った彼が、数百万人に及ぶ大虐殺を確信するに至るには大きな飛躍がある。おそらく本人は思考停止なのだろう。83才になる彼が公の場で証言するのは初めてだと。もしこのような証言がたくさんあれば、今さらこんな老人からの告白は無用だ。恐らく彼はその現場とやらに立ち会ったのはその1度だけだったろう。
ユダヤ犠牲を世に訴えるSWCが唱えるような大規模な虐殺が行なわれていれば、アウシュビッツ収容所に勤務していた者は何度もこの光景に遭っただろうし、告白したいという人は相当数に上るだろうに、実際はそうではない。ドイツ国民の生真面目な性格から考えると、今回の老人の告白など取り合う意味がないと思えるほど「証言」があふれているはずではないか。
SWCの圧力でこの種の記事が報道され、それを受け売りで北海道新聞が記事にするとは情けないことだ。