マグダラのマリアの福音書

映画『ダビンチコード』の公開に対してカトリックが抗議しています。
エスに妻がいたことは認めないと、カンカン。
世界中のカトリック信者10億人に呼びかけて配給元のSONYの商品をボイコットすると騒いでいる。
宗教ってむなしいなぁ。
この際だからもっと怒らせてやりましょう。
■ http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/8452/magudara.htm ■

キリスト教会に正式に認められていない「福音書」の中から、「マグダラのマリア」の福音書のあらすじ。
短い福音書で、最初の数ページ、途中の数ページも欠けています。
描かれている場面は、イエスが亡くなった直後です。



キリスト教外典マグダラのマリア福音書
 − ナグ・ハマディ文書より
〜〜〜文中、『』内は岩波書店の「ナグ・ハマディ文書Ⅱ 福音書」より引用。〜〜〜
 
 『彼ら(弟子たち)は悲しみ、大いに泣いた』
 そこへ、マグダラのマリアが一人、立って、彼らを励まします。
 『泣かないでください』『イエスの恵みがあなたがたと共にあり、護ってくれる』『それよりも彼の偉大さをたたえるべきです』(……マリアが皆を「伝道しよう!」と鼓舞しているようです)
 それを聞いたペテロは言いました。
 「イエス様が他の者よりもあなたを愛したことを私たちは知っている。あなたしか知らないイエスの言葉を私たちに教えてくれ」
 ――これだけを読んだ方は驚かれるでしょうが、実は、トマス書をはじめ、グノーシス派の文書ではマグダラのマリアが実質的なイエスの妻だという説があります。この文書もそれを前提として書かれており、ペテロは、「イエス様の奥様しかご存知ない、イエス様の言葉が聞きたい」、というわけです。
 そこで、マリアは語りはじめます。生前のイエス様ではなく、霊としてのイエス様と語っているような言い方です。
 『私は一つの幻のうちに主を見ました』
 そして、幻のイエスが語った内容は……。
 残念ながら、ここで再び数ページが欠落しています。
 しかし、残っている後半部分を読む限りでは、魂が「無明」「欲望」「無知」「妬み」「肉欲」「愚かさ」「怒り」などの次々と様々な敵を打ち破って、上の霊界へと上っていくさまが描写されています。(驚くべきことに、ここでいう「魂の敵」とは、仏教の「貪・瞋・痴・慢・疑・悪見」という六大煩悩に匹敵します。さらに「それを打ち勝つと、魂がより高次の霊界に行く」、という霊界の構造論的教義は、実に仏教そのものです)
 ところが。
 ……マリアがそれらを話し終わったあと、ペテロと、アンドレアスという人が、猛然と怒り出すのです。彼らは言います。
 「救い主がそんなことを言ったとは信じない」「今のは、イエス様の教えではないぞ」「大体、本当にイエス様がわれわれに隠れて一人の女性と話したりしたっていうのか?」「だとしたら、私たちは彼女を後継者としなくちゃいけないじゃないか」「先生が彼女を我々以上に選んだというのか? そんなはずはない!」
 それらの非難に、マリアは泣きながら言い返します。
 「なんですって? では、私が嘘をついているというのですか」
 ここで、レビ、というお弟子がペテロに言い返します。
 『ペテロよ、いつもあなたは怒る人だ』
 「イエス様が彼女をふさわしいものとしたなら、彼女を拒否するあなたは何者だ」「確かにイエス様は彼女を実際上、妻としていたではないか」
 「わたしたちは、今こそ自らを恥じ、イエス様の教えを守って、自分を完成させ、福音を述べようではないか」
 そして、最後に「彼ら」は伝道に出た、という記述で終わっています。
 これがあらすじです。

 実にショッキングな内容です。
 最後に伝道に出たという「彼ら」は、その場の全員なのでしょうか。
 それとも「マグダラのマリアとそれを支持する人たち」なのでしょうか。
 後者だとすれば、「マグダラのマリアたち一派が、ペテロたちと袂を分かって教団の外に出た」とも読めます。
 だとすると、なんともはや、これは、「イエス様の後継者になりえたはずの奥様が、お弟子達から抹殺された一幕を描いた文書」ということになりましょう。
 ――真相は、現代の私たちに確かめるすべもありません。
 1945年12月、エジプトの南部のナグ・ハマディ付近で農夫が発見したパピルスに記されていた福音書の内容です。