東北の旅・その2

■3日目:6月10日(水)

白神岳頂上避難小屋には、大館のおじさんと僕の2人だけだった。
大館さんは十二湖へのコースを下りて行く予定で、翌朝は早くに小屋を発つと言っていた。
白神岳登山道十二湖コースは、コースタイムでは「片道:登り7時間55分」というガイドが出ている。
大館さんはヒザの靭帯を断裂するケガをしているので、一般のコースタイムより2割り増しを覚悟して歩いている。
「明日は下りを考慮しても9時間はかかるかもな。」
さらに肋骨を痛めているし、雨が降り始めると足下が滑るなどの条件悪化が加わるので、もっと余裕をもって、朝早い時間に出発しなければいけないと、ブツブツ。
前夜は6時過ぎに夕食を終え、7時に夕陽を見届け、7時半には就寝準備が整った。
気温が低くて、ラジオ天気概況から察するに、朝方は7度くらいまで下がりそうだ。
あれこれと山の会話を交わした中で東北を2週間以上かけて回ることを伝えると、「それなら岩手山に登ってくださいよ」と言ってくれた。
オススメの山だという薦め方よりも、もっと彼のもてなそうとする地元・大館さんの気持ちが伝わってきてウレシかった。
彼と2人でウイスキーを飲んで、温まったところでさっさと寝てしまおうということになった。
間もなく彼のイビキが始まり、僕も耳栓を詰めて寝た。
寒くて、夜中に数回目が覚めてしまった。
朝4時に起きてはみたものの、山頂一帯はガスに包まれ、真っ白い朝をブルブル震えながら迎えた。
寝起きで肩が凝って、腰が痛い・・・。
ご来光は望めない状況で、2人で各々朝食の支度を始める。
天気予報では、曇りからゆっくりと下り坂で夕方から雨が降り、翌日にかけて強い雨になると言っていた。
5時近くになって、空が明るくなった。風が吹き始めて、上空のガスが晴れて青空が顔を出したことで、おじさんも不安が和らぎ、会話が弾み始めた。
6時半、出発するおじさんを山頂からの雄大な眺めが応援に回った。
すっかりガスが消えて、眼下に日本海、そして付近一帯の山容が望めるほど、天気が回復していた。
「お、まだツキがあったな。」とエッチラオッチラ、おじさんは山頂を後にした。
僕は、あとここで2泊することになる。
必要な水はあと4リットルと計算して、不足分を今日の内に確保しておかなければいけない。
明日は「予定通り」、大嵐になって小屋に閉じ込められることになりそうだ。
登山道を半分ほど下って「最終の水場」へ、約1時間半。
午前中は穏やかな天気で、小屋の前のベンチに横になったりして、村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』を読んでいた。
中でも『かえるくん東京を救う』には感動した。
秋田でこの本を手にした奇跡に感謝した。
ちゃんと、「この本を読みなさい」と仕合わせてくれたのだろう。
昼食の用意をしていると、登山者(中年夫婦)がやってきた。
彼らが下山してから、僕も追う様に水汲み下山を始めた。
イイ感じで天気がもっているが間もなく雨が降り始めるので、もう登山者はいないだろうと思っているともう一組の登山者夫婦と行き会った。
下りの時間を考えると余裕がないので、今夜は山頂小屋に泊まれるか心配していた。
1時間ほどで水場に着いて、ありがたい水で顔を洗い、プチ禊ぎさながら体を拭いた後で、必要量の水をしっかりと確保した。

周囲には木霊の音かと間違うほど、神秘的にカエルくんたちの鳴き声が響いていた。
また山頂へ向かって歩き始めると、先の夫婦とすれ違った。
奥様がバテてしまい、登頂をあきらめたのだ。
山頂小屋に着くと、待ってましたとばかりに雨が降り始めた。
1人きりになった。
夕方6時、夕食の準備に取りかかるころ、嵐の様相を迎えた。
強風で小屋の重い扉が叩かれるように大きな音を立て始めた。


■4日目:6月11日(木)
恐ろしい嵐。
堅牢に造ってある避難小屋の扉(引き戸)が壊されそうな暴風だ。
4月にリーディングを受けた際に
白神岳山頂に3泊しなさい。内1日は一歩も外に出られないほどの嵐になる。そこで私(神)と対話しよう。」
と言われたのが、その通りになってしまったようだ。
こういう時は観念するしかない。
避難小屋に缶詰状態だ。
ゴアテックスのレインウェアの上下を着て装備しても、外へ出るのは恐ろしい状況・・・。
瞑想して、読書して、調子っぱずれのラジオを聴いて、コーヒーを淹れて、昼寝して、現実逃避して、時間を過ごした。
とうとう尿意がクライマックスを迎えてしまった。
30m離れたトイレまで行くのがイヤでイヤで(泣;)
暴風もろとも魂が吹き飛ばされるような恐怖に震えていた。
尿意の我慢でも小刻みに震えていたものが倍加してさぁ大変。
「何とかトイレに行く間は雨風を弱めてください」と念じた。
念じてみるもんだなぁ。
スゥ〜〜〜っと、雨と風が弱まり、今だ!!とトイレに走った。
これでもかと叩きつけるように降った大雨に耐えた木々たちが、息をひそめているような静寂。
周囲は白い闇に包まれている。
無事に用を済ませて大慌てで小屋に戻ると、ブシュシュシュ〜〜〜、ゴォ〜〜〜、ザザザ〜〜〜とまた嵐の再開。


登山口まで6キロ以上ある。
少なくとも半径6キロは人間がいないというトホホな状況でトップリと孤独を味わった。
さて、三島由紀夫の『豊饒の海』を21年ぶりに堪能して、感動の嵐に見舞われた。
学生時代に「読んだつもり」になっていたのが、恥ずかしく思えるくらい、濃密な世界が展開される。
匂い立つほどの美学に触れた思いで、すっかり圧倒されてしまった。
三島由紀夫、恐るべしっ!!